山で生まれ育った子供、頼さん
共に散策していると、頼さんの山や林に関する知識の豊富さに驚かされる。足元の草花から遠くの樹木、高い空を舞うアオタカに山の上のヤギまで、一つ一つ細かく私たちに教えてくれた。この山はまるで頼さんの図鑑だ。そして私たちは彼の目や話を通じて、この場所に対する理解を深めていく、虫眼鏡で図鑑をじっくり吟味していくように――。
「僕はねここで生まれて育ったんだ、今の今までね」こんな山奥でずっと過ごしてきたのかと思わず驚いてしまった。家族三代に渡る農家だそうだ。農家という仕事に将来の可能性を見い出せず、都会に出てしまう人が多い中で、六男の頼さんは違う選択をした。体が悪い父親を気遣い、地元に残ることにしたのだ。家計を助けるため学業の傍ら働いたり、兵役を務めたりしている間、台北で4年間暮らした経験もあったから都市の便利さはよく知っている。それでも、山に戻ることに何の迷いも未練もなかった。いとも簡単に針金をつたって進んだり、川のそばの木に登ったりできる頼さん。高い所に吊るされたブランコだろうと、絶対大丈夫だと安心させてくれる。頼さんは山の子供だ。そして、ここは彼の家なのだ。
鳥や植物など、様々な種類の図鑑をコレクションしている頼さん。学びの精神を一生持ち続けるという考えと生態系を保護するという理念を持ち、いろんな山を渡り歩いた。自身の趣味と民宿を融合させ、ガイドも楽しんでいる。旅人たちはそんな頼さんの肩の上に乗って大自然の中を冒険しているような気分が味わえるだろう。
「ご近所さんがいない」そんな頼さんに嫁いだ美菊さん
私たちが美菊さんに会ったのは、民宿に着いた翌日、朝食を食べていた時のことだった。ウェーブのかかったグレー寄りの黒髪にシンプルな服装。目を細めて微笑む姿に、温かい朝日のような親しみやすさを覚える。
頼さんと同じように大自然を愛する美菊さんは、南部の都市、高雄で生まれ育った。「ご近所さん」が嫌いで、静かな生活がしたいと考えていたという彼女。東部・花蓮の病院で看護師をしていた頃、先住民の友人たちと登山をするのが好きだった。付けられたあだ名は「イノシシ」。女性的なか弱さは持ち合わせておらず、重い荷物を抱えながら山道を進むこともできた。頼さんと結ばれたのはきっと運命だったに違いない。
30歳になる前、「ご近所さんがいない人と結婚したい」と話していたら、友人から頼さんを紹介され、付き合うようになった。実はこの友人、山の中にある頼さんの家を初めて訪れた際、あまりの静かさに驚いたが、美菊さんのことを思い出したのだという。「本当に一目ぼれしたの、この山に!」と笑う美菊さん。「山こそがね、彼女が一番欲しかったもの。僕はただの付属品だったわけだ」と頼さんも妻の冗談に合わせる。長年連れ添った夫婦の甘いふざけ合いと私たちの笑い声が楽しげに響く。二人は認めようとしないが、美菊さんは頼さんの誠実さと包容力を愛したに違いない。初めて訪れた際、家の中にある書籍の多さに驚いた。頼さんのお母さんも素敵な方だ。ひと昔前の人のような趣のある頼さんと、その素朴さを愛する美菊さん。お互いがお互いを自然に引き合わせたのだろう。
家の周りに隣人がいないという夢をかなえたわけだが、ここでの生活には満足しているのだろうか。美菊さんは私たちの質問に大きくうなづく。「20年経ったけど、この場所がやっぱりとても好き。ここはもう私の人生の一部なの。私の家なのよ」
「一株の美しい愛のためなら、森一つあきらめてもいい」
山には電波がないのが当たり前で、チャットアプリもなかった時代、二人はただただ散歩した。山では鳥たちの鳴き声が恋の序曲となり、どこまでも続く山脈が二人の思い出の風景だ。素朴な時代に育まれた愛は、かえって味わいのある深みを持つ。
運命のような出会いと、台湾のひと昔前の恋愛の仕方。厚い手紙の束から見え隠れする絆の深さと、長い時間をかけて築いた信頼。それが安心できる「家」を作り上げた。好きなペースで生活を営み、現在は二人の可愛い子供と元気なクロに囲まれている。長年連れ添っても少し照れたような様子を見せる二人の間には甘い雰囲気さえ漂う。
柑橘類のフルーツが積まれたかごの前で、私たちはこの温かい農家の物語を記録する。幸運なことに、山で幸せそうな彼らに出会い、農村時代の恋愛話を聞くこともできた。頼さんがいろいろ教えてくれて旅に彩りを添えてくれたことや、女性ならではのしたたかさを見せてくれた美菊さんに心から感謝したい。二人の物語は農村で飲むお茶のように、素朴でほろ甘い後味を胸に残してくれた。